名軍師『黒田官兵衛』
豊臣秀吉から「ワシが死んだ後、天下を獲る男」と言われ、
「秀吉に天下を獲らせた男」とも呼ばれる名軍師であり、
同時に優れた武将でもあった「黒田官兵衛」。
もともと毛利家の武将であった官兵衛だが、竹中半兵衛の推薦によって豊臣秀吉に従うことになった。
一番の功績は、明智光秀が引き起こした「本能寺の変」を真っ先に知り、中国地方遠征中であった豊臣秀吉を説得し、ただちに明智光秀を討つため「中国大返し」と呼ばれる軍の大移動を実現し、豊臣秀吉の天下取りを見事に演出したことである。
この官兵衛の説得がなければ、豊臣秀吉が天下を取ることはなかったかもしれない。
詳細情報
- 生没年:1546年11月29日〜1604年3月20日(天文15〜慶長9)
- 出身地:播磨国(兵庫県)
- 肩書き:武将
- 通称:二兵衛、黒勘
- 幼名:万吉
- 別名:祐隆、考隆、政成
- 号:如水軒
- 官位:従五位下、勘解由次官
- 享年:59歳
年表
- 1546年:播磨国に生まれる
- 1575年:羽柴秀吉に臣従
- 1577年:姫路城を秀吉に提供する
- 1586年:九州攻めに従軍
- 1590年:小田原攻めに従軍
- 1600年:関ヶ原の合戦に備えて九州計略
- 1604年:京都伏見城にて病死
黒田官兵衛肖像画
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