東北屈指の将『最上義光』
伊達政宗に並ぶ東北屈指の武将「最上義光」。
最上家はもともと山形盆地周辺を治める小豪族にすぎなかったが、それを義光は一代にして57万石に及ぶ大大名にまで押し上げた。
詳細情報
- 生没年:1546年1月1日〜1614年1月18日(天文15〜慶長19)
- 出身地:出羽国(山形県)
- 肩書き:武将
- 通称:源五郎、二朗太郎
- 幼名:白寿
- 別名:出羽殿、虎将
- 官位:従四位上、左近衛権少将
- 享年:69歳
年表
- 1546年:出羽国に生まれる
- 1560年:元服して初陣を飾る
- 1563年:上洛して将軍足利義輝に拝謁する
- 1570年:父である最上義守との争いを制して家督を相続する
- 1578年:柏木山の合戦で伊達家の撃退に成功
- 1584年:最上郡全域を支配する
- 1590年:秀吉に臣従
- 1600年:長谷堂城の合戦で領土防衛。その後山形藩主になる。
- 1614年:山形城で病死
最上義光肖像画
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