無視無欲の将『榊原康政』
徳川四天王の一人「榊原康政」。
自身の隊旗に「無」の一文字を用いており、周りからは無視無欲の武将と称された。実際に関ヶ原の合戦後、徳川家康から水戸25万石を与えるという話があったにもかかわらずそれを断っている。
この徹底した無欲ぶりには理由があり、「老臣が権を争うのは亡国の元」という考えが根底にあって全ては徳川家の繁栄のためであったのである。
詳細情報
- 生没年:1548年?月?日〜1606年5月14日(天文17〜慶長11)
- 出身地:三河国(愛知県)
- 肩書き:武将
- 通称:小平太
- 幼名:亀丸
- 官位:従五位下、式部大輔、贈正四位
- 享年:59歳
年表
- 1548年:三河国(愛知県)に生まれる
- 1560年:徳川家康に仕える
- 1570年:姉川の合戦に参戦
- 1572年:三方ヶ原の合戦に参戦
- 1584年:小牧・長久手の合戦に参戦
- 1600年:関ヶ原の合戦に参戦
- 1606年:館林で病死
榊原康政肖像画
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