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戦国武将

島津義久

薩摩島津家の黄金期を築いた武将「島津義久」。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。薩摩国の戦国武将・守護大名・戦国大名。島津氏第16代当主。島津氏の家督を継ぎ、薩摩・大隅・日向の三州を制圧する。その後も耳川の戦いにおいて九州最大の戦国大名であった豊後国の大友氏に大勝し、また沖田畷の戦いでは九州西部に強大な勢力を誇った肥前国の龍造寺氏を撃ち破った。
義久は優秀な3人の弟(島津義弘・歳久・家久)と共に、精強な家臣団を率いて九州統一を目指し躍進し、一時は筑前・豊後の一部を除く九州全てを手中に収めるなど、島津氏の最大版図を築いた。しかし、豊臣秀吉の九州征伐を受け降伏し、本領である薩摩・大隅2ヶ国と日向諸県郡を安堵される。豊臣政権・関ヶ原の戦い・徳川政権を生き抜き、隠居後も家中に強い政治力を持ち続けた。
義久は戦国屈指の戦術家として有名で、「釣り野伏」という全軍を3隊に分け2隊を左右に隠しておき中央にいる1隊が敵を目標地点に誘い込んで、機を見て三方から敵を囲い込み一気に殲滅するという作戦を駆使して、数々の合戦で勝利を収めている。

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詳細情報

  • 生没年:1533年2月9日〜1611年1月21日(天文2〜慶長16)
  • 出身地:薩摩国(鹿児島県)
  • 肩書き:武将
  • 別名:又三郎、忠良、三郎左衛門尉、義辰
  • 幼名:虎寿丸
  • 法号:龍伯
  • 官位:従五位下、修理大夫、贈従三位
  • 享年:79歳

年表

  • 1533年:薩摩国に生まれる
  • 1566年:島津貴久が隠居したため、家督を相続する
  • 1572年:薩摩・大隅・日向の三州を統一
  • 1584年:肥前を平定する
  • 1585年:肥後を平定する
  • 1587年:戸次川の合戦で豊臣秀吉に降伏する
  • 1596年:隠居する
  • 1611年:国分舞鶴城で病死

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戦国時代の武将とは
戦国武将とは、応仁元年(1467年)に戦国時代の幕開けのきっかけとなった大乱である応仁の乱が勃発してから、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で摂津大阪城が落城するまでの約一世紀半の間に、武力・知力・財力などを用い、その名を天下に知らしめた武将のことです。
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