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戦国武将

武田と上杉

甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は、10年以上に渡って5回も合戦を繰り返しました。これが有名な川中島の合戦です。そんな戦国屈指のライバル関係であった武田軍団と上杉軍団の誇る戦国武将たちを紹介します。

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武田信玄

「甲斐の虎」という異名を持つ戦国屈指の名将「武田信玄」。生涯で70回以上の合戦に参戦しているが、敗北はわずか6度しかない。そのうちの2度は信濃の村上義清に喫している。

山本勘助

武田軍の伝説的な軍師「山本勘助」。出自や履歴に不明な部分が多い謎の戦国武将である。その優れた戦術を武器にして武田軍の作戦立案に大きく貢献した。また、城作りの名人として築城の分野でも活躍していた。第四次川中島合戦では妻女山にいた上杉謙信を誘い出すため「キツツキ戦法」を考案するが、謙信はこれを見抜いて「車懸の陣」で応戦し武田軍は一転して不利な戦況となってしまう。この作戦失敗に責任を感じた勘助は敵陣へ躍り込み壮絶な最期を遂げた。

上杉謙信

「越後の虎」と呼ばれた軍神「上杉謙信」。自らを毘沙門天の化身と称して、戦前には必ず居城「春日山城」の毘沙門堂にこもって看経を行っていた。

直江兼続

豊臣秀吉が「天下の仕置きを任せられる」と絶賛した武将「直江兼続」。幼少の頃から主君である上杉景勝に仕えており、その生涯にわたって景勝を支えた。豊臣秀吉の没後、徳川家康が天下獲りに動き出した際には、「直江状」という真っ向から対峙するという書状を家康に送りつけている。

前田慶次

戦国時代屈指の傾奇者「前田慶次」。前田慶次は、彼を主人公とした「花の慶次」というマンガの大ヒットによって戦国武将ファンのみでなく幅広い人たちもその名を知らしめた人気武将の一人である。慶次が身に着けていた鎧兜は、深紅の胴に金色の鱗形、黒い笠形の兜といったかなり派手なものであった。まさに傾奇者の名にふさわしい鎧兜だったといえる。慶次は傾奇者として様々なエピソードを持っているが、その中でも天下人であった豊臣秀吉に関係するものが有名である。秀吉が催した宴の席に紛れ込み、秀吉のニックネームである「猿」をふまえ猿のお面をつけて、諸大名を目の前に踊りを披露したのだ。天下人を命がけでからかうという普通の人では考えられないようなことをやってのけたのである。

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戦国時代の武将とは
戦国武将とは、応仁元年(1467年)に戦国時代の幕開けのきっかけとなった大乱である応仁の乱が勃発してから、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で摂津大阪城が落城するまでの約一世紀半の間に、武力・知力・財力などを用い、その名を天下に知らしめた武将のことです。
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