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戦国武将

戦国一の策略家

戦国時代という下剋上の世界で、己の目標のためにどんな手段も顔色を変えることなく実行する。平気で嘘をつき、時には家臣や主すら裏切る。そんな策略家たちの中で一番優れていたのは誰であったのだろうか?

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第1位:毛利元就

毛利元就は、数多くの策略で毛利家を大きく発展させたことで知られる戦国一の策略家である。その策略の中でも、毛利家の最大のライバルであった尼子家を戦わずして弱体化させることに成功したエピソードについて紹介する。当時の尼子軍団の中で最大の勢力であった新宮党は益々その力を拡大し、それは尼子家当主:尼子晴久に危機感をつのらせる程であった。これを好機と捉えた毛利元就は、新宮党が毛利家と内通していると思わせるような内容の手紙を持たせた男を尼子家の領内に忍び込ませた。そして、同時にその男とは別の男にあとをつけさせておいて、手紙を持たせた男を殺害させた(証拠隠滅)。その後、男が持たされていた手紙が尼子晴久の目に触れたことで、毛利家との内通を疑われた無実の新宮党の多くの者は処刑された。これによって尼子家の軍事力は一気に衰退していったのである。毛利元就の策略通りに、戦わずして尼子家を弱体化させたのである。

第2位:北条早雲

一介の浪人から、生まれ持った策略と戦上手を武器に大大名へと上り詰めた北条早雲。早雲は策略と奇襲によって、その勢力を拡大していった。早雲の治めていた国の隣国相模に位置していた小田原城主・大森藤頼とは親交を重ねることで信頼関係を築いていた。しかし、これは藤頼を油断させるためであった。ある日、シカ狩りと偽って猟師に変装させた兵士たちを相模に侵入させて、要衝となっていた小田原城を一気に攻め落とし、関東進出への拠点としてしまったのだ。己の目標のために手段を選ばない、戦国有数の策略家:北条早雲ならでの策略である。

第3位:宇喜多直家

己にとって邪魔な勢力は策略によってことごとく排除していった宇喜多直家。男色家の武将に対しては美少年を刺客として送り込み毒殺させたり、狩りが趣味の武将に対しては狩りに誘い出して誤射のふりをして射殺したりと、卑劣な手段を平気で実行していった。最終的には、面倒を見てもらっていた主君である浦上氏を追放することで備前一国の乗っ取りに成功した。宇喜多直家は手段を選ばないという意味では、戦国一の策略家といえるだろう。

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戦国時代の武将とは
戦国武将とは、応仁元年(1467年)に戦国時代の幕開けのきっかけとなった大乱である応仁の乱が勃発してから、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で摂津大阪城が落城するまでの約一世紀半の間に、武力・知力・財力などを用い、その名を天下に知らしめた武将のことです。
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