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戦国武将

西日本の英雄

西日本の英雄では、西日本を舞台にして活躍し、その名を日本全国に知らしめた戦国武将たちの紹介をします。毛利元就、島津義久、長宗我部元親などがそうです。

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毛利元就

一代で毛利家を大大名へと導いた戦国屈指の智将「毛利元就」。元就はさまざまな謀事をめぐらしたことから謀神という異名を持つ。

小早川隆景

毛利両川の一人「小早川隆景」。隆景は毛利元就の三男として生まれた。その後、小早川家の養子となり小早川家を継ぐことになる。兄である吉川元春とともに「毛利の両川」とよばれ、毛利家の繁栄に多大な貢献をした。また、はやくから親豊臣派の立場をとっており、豊臣秀吉の四国平定や九州攻め、朝鮮出兵などで目覚ましい軍功をあげたことで、豊臣政権において豊臣五大老の一員に列せられている。

吉川元春

毛利両川の一人「吉川元春」。元春は毛利元就の次男として生まれた。その後、安芸国の有力国人であった吉川家を継いで日野山城主となる。弟の小早川隆景とともに「毛利の両川」として毛利家を支えた。元春の戦国武将としての能力は非常に高く、山陰地方の領土拡大に大きく貢献した。父である毛利元就も元春の武将としての才能を絶賛している。実際に生涯77回の合戦を経験しているが、そのうち勝利したものが64回に及んでいる。

島津義久

薩摩島津家の黄金期を築いた武将「島津義久」。義久は薩摩・大隅・日向にわたる「三州統一」を成し遂げたのち「九州統一」も果たしている。義久は戦国屈指の戦術家として有名で、「釣り野伏」という全軍を3隊に分け2隊を左右に隠しておき中央にいる1隊が敵を目標地点に誘い込んで、機を見て三方から敵を囲い込み一気に殲滅するという作戦を駆使して、数々の合戦で勝利を収めている。

長宗我部元親

一代にして四国を統一した猛将「長宗我部元親」。元親は家督を相続してから12年で土佐を統一し、その後11年かけて四国を平定する。しかし、豊臣秀吉に戦わずに降伏したことで土佐一国を安堵したものの、一代で築き上げた四国を一瞬で失うことになった。

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戦国時代の武将とは
戦国武将とは、応仁元年(1467年)に戦国時代の幕開けのきっかけとなった大乱である応仁の乱が勃発してから、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で摂津大阪城が落城するまでの約一世紀半の間に、武力・知力・財力などを用い、その名を天下に知らしめた武将のことです。
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