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戦国武将

徳川家康軍団

徳川家康軍団では、150年間もの長い間続いた戦国乱世を、織田信長、豊臣秀吉の跡を継ぐ形で終わらせた「徳川家康」と彼を支えた戦国武将たちの紹介をします。

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徳川家康

戦国時代最後の勝利者であり時代を江戸へと導いた「徳川家康」。江戸幕府を開いた初代将軍にして、泰平260年にわたる江戸時代の基礎を築き上げた。

酒井忠次

徳川四天王のトップに君臨した「酒井忠次」。徳川家康の父である松平広忠の時代から仕えていた譜代である。忠次は槍の名手であり、愛用の槍は甕(かめ)もろとも敵を串刺しにしたことから「甕通(かめどおし)」と呼ばれていた。「長篠の戦い」では武田軍を潰走させることに成功して、落城寸前であった長篠城を救うという名将ぶりを発揮している。

井伊直政

徳川四天王の一人「井伊直政」。直政が徳川家康に仕えることになったのは15歳のときである。それ以来、徳川家の繁栄に全身全霊を尽くしている。「本能寺の変」直後に関東を支配していた後北条氏との和議を締結したり、関ヶ原の合戦後には大阪城の無血開城に成功している。

本多忠勝

徳川四天王の一人であり戦神と称された名将「本多忠勝」。生涯で57度の合戦に参加して身体に傷を一つも負わなかったという逸話を持っている。まさに戦国最強の武将である。愛用の槍は穂先に止まったトンボが真っ二つになったことから「蜻蛉(トンボ)切」と呼ばれた。

榊原康政

徳川四天王の一人「榊原康政」。自身の隊旗に「無」の一文字を用いており、周りからは無視無欲の武将と称された。実際に関ヶ原の合戦後、徳川家康から水戸25万石を与えるという話があったにもかかわらずそれを断っている。この徹底した無欲ぶりには理由があり、「老臣が権を争うのは亡国の元」という考えが根底にあって全ては徳川家の繁栄のためであったのである。

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戦国時代の武将とは
戦国武将とは、応仁元年(1467年)に戦国時代の幕開けのきっかけとなった大乱である応仁の乱が勃発してから、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で摂津大阪城が落城するまでの約一世紀半の間に、武力・知力・財力などを用い、その名を天下に知らしめた武将のことです。
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