織田四天王『丹羽長秀』
織田四天王の一人「丹羽長秀」。
長秀が織田信長に仕えたのは16歳の時であった。信長からの信頼は厚く「長秀は友であり兄弟だ」と言われていたそうである。
また、長秀は信長の兄である信広の娘を妻にしており、長秀の嫡男である長重は信長の五女を娶っていた。
つまり、信長とは強い血縁関係で結ばれていたのだ。
そんな長秀は軍事面よりも内政面の方が評価されていた。織田家中の席次では柴田勝家に次ぐ2番家老だったが、軍事面では勝家や羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益らよりも低く見られていたようである。
詳細情報
- 生没年:1535年9月20日〜1585年4月16日(天文4〜天正13)
- 出身地:尾張国(愛知県)
- 肩書き:武将
- 通称:五郎左衛門尉、羽柴越前守
- 別名:米五郎左、鬼五郎左
- 幼名:万千代
- 官位:越前守
- 享年:51歳
年表
- 1535年:尾張国に生まれる
- 1550年:信長に仕える
- 1560年:桶狭間の合戦に参戦
- 1568年:近江・六角攻めにおいて戦功を挙げる
- 1571年:佐和山に5万石を拝領
- 1573年:浅井・朝倉攻めにおいて戦功を挙げる
- 1582年:山崎の合戦において羽柴秀吉とともに明智光秀を討つ
- 1585年:北ノ庄で病死
丹羽長秀肖像画
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