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戦国武将

戦国最高の智将

戦においては兵力だけがすべてではなく、あらゆることに目を配り冷静に状況を判断して決断を下すことが重要である。智将とはそんな知略によって戦いを優位に運ぶことのできる武将のことである。それでは、戦国時代最高の智将はいったい誰であったのだろうか?

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第一位:竹中半兵衛

竹中半兵衛のエピソードの中で最も鮮烈なのが、「稲葉山城乗っ取り」である。わずか17人の手勢でもって城を丸ごと乗っ取ってしまうという、竹中半兵衛の知略の凄さを物語る話である。また、半兵衛は無駄に敵兵の命を奪うような作戦を立てることはなく慈悲深い智将としても知られている。

第二位:黒田官兵衛

「中国討伐」の最中に「本能寺の変」の報せを受けて、その日のうちに中国地方からの撤退を開始した秀吉軍。この「中国大返し」の際に、黒田官兵衛はその知略をもって見事にしんがりを務め、信長の弔い合戦となった「山崎の戦い」やその他の多くの戦においても優れた計略を用いて秀吉の勢力拡大に大きく貢献した。つまり、秀吉の天下統一の立役者といってよいほどである。また、秀吉は「自分の死後に天下を狙うものがあるとしたら、それは官兵衛である」と言ったと伝えられているが、そのことも官兵衛が素晴らしい智将であったことを感じさせる。

第三位:山本勘助

武田家に仕えた伝説の智将である。武田信玄が信濃に侵攻した際には、計9か所の城を陥落させるという功績を上げている。また、勘助は築城術に長けており武田領内の城や砦などの出城を構築していた。勘助の最大の功績は「砥石城攻め」である。村上義清の猛攻にあい絶体絶命のピンチに陥った主君武田信玄を、わずか50騎を率いて村上勢を陽動するという一計を案じることで見事に救出することに成功した。まさに伝説の智将の名に恥じない働きぶりであった。

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戦国時代の武将とは
戦国武将とは、応仁元年(1467年)に戦国時代の幕開けのきっかけとなった大乱である応仁の乱が勃発してから、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で摂津大阪城が落城するまでの約一世紀半の間に、武力・知力・財力などを用い、その名を天下に知らしめた武将のことです。
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